6話 『ヤンキー彼氏のトークは甘め・前編』
手の中にあった缶コーヒーはすっかり冷えてしまった。寒空に男二人が公園で並んで座っている。
赤の他人が見て、この二人がついさっきキスをして、カップルになったばかりだとは思わないだろう。それほど二人の空気は乾いていた。
八戸はこの状況にただただ緊張していた。なにか会話を探そうと周りを見回しても、遊具のない狭いだけの公園にこの空気を打破できるだけの話題は見つからなかった。
いたずらに時間だけが過ぎ、ついに八戸は白旗を揚げた。
「まあ……時間も時間だし……帰る?」
「そうすね」
たった今彼氏になった男、睦も素っ気なく頷いた。傷んだ金髪の奥から強ばった横顔が見える。彼もまた緊張しているのかもしれなかった。
立ち上がった八戸に、睦が思い出したように顔を上げた。
「あ、ライン聞いてもいいすか」
「うん、いいよ……」
懐から取り出して二人で身を寄せ合ってスマホを操作する。操作に手間取っていると睦が代わりにしてくれた。指が吸い付くように素早い動作でライン交換を終えてしまう。その慣れた手つきにさすがスマホネイティブと感心してしまう。スマホを返してもらった八戸はひとつ咳払いをして年上ぶった。
「家着いたらラインしてね。……念のため」
「……うす」
ぶっきらぼうな返事を寄越して、二人はベンチを立った。使う駅が違うということもあり、公園を出た後そのまま別れた。
(俺たち、本当に付き合ったんだよなぁ……)
電車の中でも駅から家に向かう途中でも、八戸は何度も同じ疑問を心の中で唱えた。
昨日まで、一緒に働いている職人だった少年がなんの前触れもなく突然恋人になったのだ。現実感がないのは当然かもしれない。
(てか、恋人とか久しぶりすぎて感覚がわからない)
ここ数年……いや、下手したら社会人になってからというもの仕事のことで頭がいっぱいだった。今日の睡眠時間をどれだけ確保できるかなんて考えている社畜生活に恋人という存在が入る余地などなかった。
そんなわけで、八戸は家にたどり着くまでの三十分間、恋人に送るべきメッセージの内容について悩み続けていたのだ。とりあえず文書をだけ先に作って、先にシャワーを浴びてから送ろうと決めた。
そうして風呂上がりに送信前の自分のメッセージを読んだ。
『無事に帰れたかな?今日はありがとう。突然の告白にびっくりしちゃったよ。(嫌だったとかじゃなくて)至らないやつですが、これからよろしくお願いします』
(キモッ! 俺、キモッ!!)
日本語としての文章としてはそこまでおかしくないはずだが、『しちゃったよ』という唐突におかしな口調を使い出すところや括弧で繕うところが最高に気持ち悪い。極めつけは至らないやつですがとか自分で言うところだ。
八戸は慌てて今できたばかりの黒歴史を消去した。すると、軽快な通知音とともにやりとりのなかった画面にメッセージが入った。
『家着いたよ』
簡潔な一文の後ろには猫が微笑む絵文字が付いていた。標準についてるタイプじゃなくて課金しないと使えないような可愛いやつだ。ずいぶんと可愛い絵文字を使うんだなと意外に思っていると、追加のメッセージが届いた。
『今日は嬉しかったな。最高の一日だった』
「インスタ女子かよ」
思わず、声が出た。
八戸はインスタをしていないが、 最高の一日なんて言葉を恥ずかしげもなく使えるのは八戸から最も縁遠い存在……陽キャ、パリピ、つまりインスタ女子である。
目つきが鋭く黙っていると殺気すら感じるような睦が、こんな可愛い口調と絵文字を操っているとはにわかに信じられない。八戸は戸惑いながらも返事を打った。
『俺も嬉しかったよ。家の人大丈夫だった?』
『うん、平気。みんな寝てる。八戸さんも家着いた?』
『着いたよ。君になんてラインを送ろうか考えてた』
『本当?嬉しい』
打てばすぐに返事が来る。もちろんすべて可愛い絵文字付きだ。八戸は髪を乾かすのも忘れてメッセージのやり取りをし続けた。さっきは全然話せなかったのに、不思議と会話が続いた。時間が飛ぶように過ぎ、気づけば十二時を回っていた。二時間近くずっとラインをし続けていたことになる。
『そろそろ寝ないと……明日早いでしょ?』
八戸がそう送ると、目が潤んだウサギのスタンプが届いた。その後も、寂しさをアピールするスタンプがいくつか届いた。どれも少女が好みそうな可愛らしいものばかりだ。こういうスタンプやアピールは苦手だったが、画面の向こうに睦がいると思うと可愛さに胸がはち切れそうだった。
『明日会うの楽しみだね』
そんなメッセージに顔がにやけて仕方がない。ベッドに入りながら八戸は返事を考えていると、トーク画面に新しいメッセージが追加された。
『ちゅ』
見た瞬間、思わず画面を伏せた。
(ちゅ? ちゅって書いてた? むつきゅんがちゅって…………、ちゅって…………)
これが『キスしたいなぁ』とかだったらここまで動揺しなかった。しかし『ちゅ』は反則だ。ヤンキーが使うべき言葉ではない。なぜなら『ちゅ』は可愛すぎるからだ。これが真実だとしたら八戸の胸は確実に爆発してしまう。
八戸は自分を落ち着けようと深呼吸をしながら、薄暗い部屋の天井を見回す。そしてこれが夢ではないと確信すると、もう一度スマホを覗き込んだ。そこにはやはり『ちゅ』という二文字が刻まれていた。
「やっぱり、ちゅって書いてるーっ!」
叫んだ瞬間、隣人から壁ドンされた。
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