10話 『ヤンキー彼氏の大きすぎる偏愛・3』

 案の定、一分も経たないうちに再びくすぐってきて、再び八戸を悶々とさせたのであった。

 普通ならいい加減にしろと説教してもおかしくない。しかし自分に自信がない八戸には、彼の鬱陶しいぐらいのアピールがちょうどよかった。多忙で奥手な自分とバランスが取れている。

 しかし、この状況を素直に喜べない理由があった。

(ウケしか出来ないこと……言ってないんだよな……)

 ウケ……、すなわち尻を差し出す方である。

 八戸啓介、三十歳。童貞非処女の根っからのバリウケであった。

 アプリやバーで出会った相手ならすぐに互いの役割を確認したが、仮にも同じ職場で働く一回り年下の高校生である。掘ってくださいなんて、さすがの八戸もプライドが邪魔をして言えなかった。

 付き合って二ヶ月。幾度となく甘い空気が流れたが、その度にごまかし続けた。キスが出来なかったのは忙しさのせいもあるが、後ろめたさがある八戸の中途半端な態度も一因であった。

 ここにきて睦がべたべたと甘えてくるのも、日頃の八戸の迷いを察したのかもしれない。

 そう思うと余計に睦を邪険に扱えるはずなどなかった。

 結局、睦は映画の幕が下ろされ、退場を促すアナウンスが流れる瞬間まで八戸の手を撫で続けた。

 人混みに流されるように建物から外に出ると、星の見えない夜空と七色のイルミネーションが視界に広がった。八戸は大きく息を吐いた。真冬の風が心地良いと感じるほどに八戸の身体は火照ってしまった。

「八戸さん、こっち」

 少し休みたいと思ったが、睦は八戸の腕をとって歩きだしてしまった。大股で歩く彼に引きずられるようにしてその後を追う。

 どこかまだ行きたいところでもあるのだろう。八戸は自分の腕時計を見遣った。もう時刻は八時を過ぎている。

「睦くん、そろそろ帰らないと……」

 人気の少ない建物の裏側に入った途端、睦は振り返って八戸を抱きしめた。その力強さに驚いて硬直したが、すぐに我に返る。

「駄目だって。誰が見てるかも分からないのに」

「まだ帰りたくない」

 呟くように吐き出された彼の声は駄々っ子のように頑なだった。

「家の人が心配するでしょ」

「友達の家に泊まったことにすれば……」

「だーめ」

「いつならいいんすか」

 覗き込んできた睦の顔を見て、八戸は浮かべていた笑みを引っ込めた。八戸を見つめる瞳が不安で揺れていたからだ。

 こんな顔をさせてしまったことに申し訳無さを感じつつも、答えは変わらない。ホテルに行くには時間切れだ。常識的な時間には彼を家に帰したかった。結局、頭をくしゃりと撫でてやるぐらいしか八戸にできることはなかった。

「また今度ね」

 そんなおざなりな言葉とともに身体を離す。睦は不満そうな顔を隠そうともせず、出口に向かう八戸の後を付いてきた。

 微妙な空気のままの帰りの電車。会話らしい会話もなく、睦は黙り込んでいた。デートの終わりは睦の最寄り駅だ。彼の家の近所のコンビニまで送ってから別れる。

 時間を忘れるほど楽しんだ一日だったのに、いや、それほど楽しい時間だったからこそ、別れは寂しい。帰りたくないと言う睦を見送るのは辛かった。明日また職場で会えるが、それとこれとは話が別だ。きっと睦は今日の続きを共に過ごしたかったのだ。

 「じゃあ」と、そっけない別れの言葉と共に睦は八戸を置いて歩きだした。

「むつきゅん」

 聞こえるか聞こえないかの声で呟いたのに、睦はこちらを振り返った。なにも考えていなかったのに、去りゆく睦を見ると自然と言葉が溢れた。

「好きだよ」

 その瞬間、睦は踵を返してこちらに向かって走ってきた。コンビニの明かりに照らされた八戸の影が二つに重なった。ほとんどぶつかるようにして睦に強く抱きしめられる。

「ちょ……」

「俺も好き!」

「むつきゅ……ん……」

 戸惑う八戸の唇を強引に奪っていく。彼に馴染んだ香水を感じながらその背中に手を回す。唇が触れ合ったほんの数秒、八戸はここがどこかも忘れて、身体の奥から湧き出るような幸福感を味わった。

「じゃあね」

 睦は白い歯を見せて笑うと、片手を上げて走り去っていく。

 小さくなっていく姿を呆然と見送りながらも、その口元には笑みが溢れた。

 ウケだとかそういうの彼ならきっと気にしない。八戸だって頭ではわかっているのだ。

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