小説を書く理由を求めて人生を振り返ってみた。

どうして私は小説を書くんだろう。大した人気があるわけでもなく、誰からも求められているわけでもない。そしてなにより、私は本を読むのが苦手です。

子供の頃から苦手でした。

漫画は大好きだったんですけどね。

そんな自分がどうして書くのか。そしてどこに向かって書き続けるのかっていうのを見つけるために少し人生を振り返りたいと思います。

とっても長くなると思います。あといつもよりちょっと真面目です。

 

そんな私が文章を書くのにハマったのは、小学生の作文の授業で褒めてもらったからっていうのがきっかけだったんですよね。

作文でその週にあったことを書いて、良かった作品は印刷されて発表されました。そこで私は毎回のように発表されたんですね。

もちろん嬉しかったんですが、私がこの作文の授業にかける思いっていうのは生半可なものじゃなくて、毎日次の作文は何を書こうか考え続けるぐらいハマりました。

小学生の頃の私っていうのは、大人から褒められた記憶がありません。

部屋もぐちゃぐちゃで忘れ物ばかりして家でも学校でも叱られてばかりでした。

というか、親から褒められたことってマジで一度もないなって今これ書きながら気づきました。

お子さんの長所と短所を書いてくださいという学校のプリントに長所に「なし」と書く徹底ぶりです。(短所はびっしり書かれた。嫌われたんだなぁ……トオイメ)

当時の私の学校は、わりと体罰が当たり前だったので、忘れ物したら普通にぶたれてました。もちろん家でも。時代ですね。

その時の私は、居場所がないという感覚が強かったんですよね。家でも学校でも「本当にここにいていいのか?」と不安でしょうがなかったんです。

ある日突然、大人から「お前は出ていけ」と言われるんじゃないかと脅えまくってました。まあ実際に言われたことは数えるぐらいしかないんですが。

そんな自分が作文のときだけは主役になれる。ここにいても大丈夫なんだという肯定感が唯一得られる授業だったんですね。

そんな作文に命をかけた私がそこらの小学生に負けるわけがなく(私も小学生だったけど)、担任が変わったあともずっと私の作文は褒め続けられていったのです。

 

中学生になったら、作文の授業はなくなり、すっかり文を書くことから離れてました。

私は漫画家になると言って、漫画を描くけど、絵を描くのがあまりに面倒で続きを文章で書きました。

ええ、まあ・・・びっくりするぐらい読まれなかったですけどね。

自分でも手書きで書いた小説なんて読めたもんじゃない。しかもストーリーも重いし。

で、なんとなくその漫画のキャラクターを使って外伝を作りました。

台本形式の会話のみで進むストーリーで、1Pで話が終わるショートショートです。どれもコメディで笑える感じになってました。

こっちのほうがウケが良いんだわ。圧倒的に。なんか関係ない子が勝手に読んで面白かったって言ってきたぐらいだったし……あれはいったいなんだったのか……なんで人のノートを勝手に……。

友達と互いの創作漫画のキャラクターを共有して、二人でショートショート専用のノートを作って遊びまくった思い出。

今考えたら、中学生にして遊び方がガチガチのオタクだったなぁって思います。

一緒にやってた友達、中学生にして超絶絵が上手かったけど、今もイラスト描いてるのかなぁ。元気だったらいいなぁ。

 

ノスタルジックに浸りつつ、話を本題に戻します。

中学生の私はもちろんスクールカースト最底辺の陰キャでした。けっこう男子に嫌われていて、存在を消すように生きていたのを覚えています。

そんな中で忘れられない話がひとつあります。

国語の授業で、教科書の小説の続きを書きましょう。というのがありました。

十五分ぐらいでA5の更半紙に思いついたことを書きなぐって提出しました。

内容は、ア○ジャ○シュのネタみたいな、こうだと思って行動したけど、相手には違うように伝わっていた。みたいな感じだったと思います。

そして次の授業で、先生がそれを読んでくれました。

それが、めっちゃウケたんです。

先生がやたら臨場感ある語り口調で読んだせいで、教室が割れるぐらいの大爆笑に包まれました。

いつも私を蔑んでいた男子が笑いすぎて泣いていて、私も釣られて泣きました。(誰が書いたかは先生が伏せてくれたんですよね)

後にも先にもあんなに大勢の人間を笑わせたことはなかったです。いや、笑わせたのは先生だけど、それでもスクールカースト最底辺だった自分が書いた文章がこんなにウケるっていうのは衝撃でした。

私の中学校は大阪という土地柄もあって、めちゃくちゃ笑いの価値が重かったんですね。

どれぐらい重いかというと(っていう話を書いたらめちゃくちゃ長くなったんで端折りますけど)、イケメンよりオモロイのほうが大切でした。

オモロイは正義の世界。

つまりこの体験は、わーい!みんな笑ってくれて嬉しい〜〜とかじゃなくて、

世界を制した!!!!!!

みたいな感覚があったんですね。認められたって思いました。

小説ってすげーなーって心の底から思った瞬間です。

 

それから私は美術系の高校に進学しますが、そもそも絵を描くのが下手だった私は地域中から集まる芸術の猛者たちを前にぽっきり筆を折ってしまいました。

絵がだめなら小説かなーとふんわり思ってました。小説に興味ないのにですよ。不思議なもんですね。

その高校、美術系だけあって漫画描いてる子が多かったんですよね。漫画描きが7、8人集まって壮大な交換漫画をやってたんですよ。

そこに小説で参戦するという厚かましさ。

それでも交換漫画のメンバーは温かく受け入れてくれました。

ストーリーはかなりカオスで、二次創作好きの子がピースメーカーの新選組を参戦させたあたりで登場人物五十人ぐらいになったんじゃないですかね。

1Pのイラストから始まった交換漫画は回を増すごとに加熱していき、それに比例するように一人あたりのページ数が増えていきました。

一冊のファイルが、二冊、三冊と増え、パンパンのファイルが5冊ぐらいになったのかな…。交換ノートって名前だったけど、最後の方はファイルがぎっしり詰まった紙袋を受け渡すようになりました。

もちろん私も自分の番が回ってきたら、睡眠時間を削って小説書きました。

最後に回った子が卒業式前夜に徹夜で仕上げた最終回(なんと50P超!!!)を卒業式にみんなで読んでめちゃくちゃ感動して泣きました。

あれは立派な同人活動だったな。

みんな元気かなー。

あの頃のメンバーも今も創作活動してるんじゃないかなって期待しています。

 

一応、ぽつぽつと小説を書いてはいたのですが、どれも例外なくエタりました。

一人で書く小説が苦手だったんですよね。

高校を卒業し、就職するも一年ほどで退職。フリーターしながら、とあるライターの仕事を請け負うことになりました。

これも自分ひとりで書くというよりは、会社と内容を打ち合わせをして、叱咤激励されながら書きました。小説形式に近かったのですが、なにせ文量が多かったのと、顧客の要望もあってしんどかったです。でもこれで初めてちゃんと小説という媒体に真面目に向き合ったと思います。小説のルールとかプロットの書き方とか教わったのもこの会社のおかげです。

その時に出会った仲間たちととても仲良くなりました。

そして、契約が終わると私は小説から離れました。

仲間たちとは小説を越えた友人になりました。

大人になってようやく小説を書かなくても居場所があると感じたのです。だから、書く必要がなくなりました。

 

小説から距離を置いたはずの私ですが、文章を書くという業務は向こうからやってきました。

とあるブラック企業で働いていたころのことです。

その会社では「活動週報」という報告業務がありました。一週間の数字とどういう活動をしたのかを2000字以上にまとめて提出する。

もちろん書くのは業務時間外です。2000字以上の報告を毎週するっていう地獄。

長さが足りなければやり直しです。

ぶっちゃけ、そんなに書くことないです。

だから私は熱意のこもった風の日記を書いて送ってました。将来こうなりたいです!みたいな感じで締めくくっておけば、真ん中がどんな内容でもそれっぽく見えたので。

お客さんとのやり取りとか(だいたい失敗例でしたが)を、堅い文章でちょっと面白めに書いて送ってました。

正直、誰も読んでないだろなーって思ってたけど、上司はしっかり読んでいた。

そして課長から言われたんですよね。

「部長が種袋さんの週報は面白いから一番最後に読んでるって。コラム気分で読んでるみたい。来週も期待してるって言ってたよ」

週報を期待される営業!?!?!?えっ、数字とかじゃなくて!?!?!?いや、数字は出てないけどwww

しかもこの部長結構辛口で手を抜いたらすぐに課長から

「今週はイマイチだったって言ってた」って伝えられるwww

そうして週報は本来とは違う方向で手が抜けなくなっていきました。

それがきっかけで部長と仲良くなって業務上の頼まれごとも多くなりました。なので私も頼んでみた。

「店長にしてください」

なれた!!!

(いや、もちろん頼んだだけでなったわけじゃないけども。。。ヒラの私が部長に直接交渉して条件を引き出せたのは大きかったです)

そして三ヶ月後、店長以上が出席できる「手を挙げたら出世できる会議」に呼ばれて手を挙げて出世しました。

超スピード出世です。(そしてその後地獄を見た)

そういうわけで、私はまたも文章を書くことがきっかけで居場所を手に入れることが出来ました。

 

それから○年後、再び私に居場所が必要になりました。

引っ越しをして地元を離れ、関東に移ったからです。新天地には当然居場所なんてありませんでした。

なので、BL小説とTwitterを使って居場所を求めました。

結果、今、どうなったか。

 

小説の人気は今ひとつですが、とてもいい友人に恵まれました。

共通の趣味の友人が全国にいます。とてもありがたいことです。

私はずっと居場所を求めて、文字を書き続けてきました。そして居場所を見つけた今、再び筆を置くかずいぶん長いこと迷いました。

文字を書くことがコミュニケーションの手段である私には孤独に小説を書くという行為に興味がありません。今までそれで小説を完成させたことなんてないんです。人とコミュニケーションを取りながら、頑張れ頑張れって言われてようやく一作出来上がる程度の小物です。

なのにこうやって居座るのは迷惑かなと。

いつか、ちゃんと出来るようにならないといけないってずっと思っていました。

でも出来なくて、気づいたら人と関わりながら文字を書いています。コラボ小説やアンソロ、漫画原作にブログ。

どうやら一人で小説を書くことができなくても、文字書きは意外とできるようです。

私はこれからも小説を書くのか、あるいは止めてしまうのかはわかりませんが、文字を使って人と関わるということは一生止められないんだろうなって思います。

振り返ってみると、私は小説に救われてきたんだなって感じます。

暗黒の学生時代を支えてくれたのは創作を共にした仲間です。

そして今も、本音を話せるのはやっぱり創作の仲間です。

今まで自分を支えてくれ、助けてくれた友人を繋いでくれた小説。

それを使って、今度は自分が誰かを助けられるような人になりたいと思っています。

どんな形になるかわかりませんが、いつか出会えてよかったという作品を作れる作家を目指して。

 

2020/12/8

種袋ルネッサ

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