『骨の髄まで召し上がれ』5話

5話

 管理席の前で朝礼を仕切る淡路を真顔で眺める。いつものように数字を上げる営業を褒め称え、名前を呼ばれなかった者たちに発破をかける。

「今日必死に頑張れない人は明日も頑張れない。月末に向けて、今踏ん張らないでいつやるんだよ。もぎ取って来い。頼むぞ」

 清廉そうな横顔は昨日の情事の片鱗すら見えない。彼が解散の合図にひとつ手を叩けば、事務所にいた営業たちは一斉に動き出した。ふいに彼の視線が俺を捕らえた。微笑を浮かべた柔らかな視線だったが、それだけで俺は動けなくなった。

「伊藤さん」

 こちらに歩いてきながら、淡路は俺の上司を呼んだ。伊藤が不思議そうな顔をしてこちらにやってくる。

「来週の部署間交流会、全員来るよね?」

 部署間交流会。ご立派な名前がついているが、要するに複数の部署が参加する会社の飲み会だ。会社飲み会のくせにしっかり会費を取るので断っていた。伊藤が非常識だとか言っていたが、強制じゃないんですよね、と言って逃げた飲み会だ。淡路は瞳を俺に向けたままだ。

「リストに矢名瀬くんの名前がなかったから」
「彼は……、その、令和のモンスターなので」

 誰がモンスターだよ。
 伊藤の返答に苛立つが、隣で淡路が吹き出したので空気が少し軽くなった。

「令和のモンスターくんも来てほしいな」
「矢名瀬くん」

 上司二人が圧力をかけてくる。何かしらのハラスメントが発動してる気がする。部長である淡路がわざわざ平社員の俺を誘ってくるあたりおかしい。心当たりを財布のあたりに感じながら、俺は顔をひきつらせた。

「行、行きますよ」
「……矢名瀬くん……!」

 伊藤が煌めかせた瞳をこちらに向けてくる。やっとその気になってくれたのね。と、その顔に書いてある。その目玉を潰したい衝動を抑え、よろしくお願いしますと頭を下げた。

「楽しみにしてるよ。俺も若い子と話して価値観をアップデートさせないと」

 淡路はそんな胡散臭いセリフを残して去っていった。

 どんな理由があれ、不意に湧いた現金は俺の心を潤した。スーパーの割り引かれた弁当ではなく、定食屋で夕飯を食べ、発泡酒じゃなくてビールを買った。先送りにしていた支払いを済ませてもまだ余った。

 週末には前回惨敗したバーに向かい、二十歳のイケメンを堂々と口説いた。確か名前はユウマと言ったか。バンドマンだという彼は金髪が似合うまだあどけない青年だった。
 酒を飲んだら美味しいと喜び、奢ってやると嬉しいと笑う。そんな単純なところが気に入った。
 ホテルで熱い夜を過ごしたあとは連絡先を交換した。不動産の営業をしていると言うと金があると思ったのかやたら甘えてくる。そんな姿すら可愛いと思えた。

(おっさん抱いてみてよかったな。まあ淡路もそこそこエロかったけど……)

 一瞬よぎった淡路との夜を小さく首を振って打ち消した。あれは一度限りだから燃えたのだ。
 とにかく俺はその五万円でいい夢が見れたのだ。

 部署間交流会で再び淡路に会うまでは。

 飲み会は想像通りのくだらなさだった。不動産業界の飲み会は荒い。上司に飲めと言われたら飲む。盛り上げ重視のどんちゃん騒ぎだ。若手社員の役目は二つ。命じられて酒を飲むか相槌を打つだけだ。俺を呼んだ淡路は、周りにゴマすりたちに囲まれて楽しそうにやっていた。それがますますくだらなさに拍車をかける。
 一次会でさっさと帰ろうとしたのに、また淡路に呼び止められた。

「矢名瀬くん、二次会は来ないのかい?」
「えっと、お金なく……て……」

 つい口をついて出た言葉に、しまったと思って途中で言葉をつまらせた。案の定、淡路は笑みを浮かべたまま、低い声で迫ってきた。
「ん? 金ないの?」
「いや、あります……」

 もらった金はもうほとんど使ってしまったなんて言えなかった。彼は軽く頷くと俺の腕を引いて駅とは逆方向に歩き出した。

「じゃあ行こう」

 問答無用だ。


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